そうきょく☆のだみブログ

社畜のすさんだ日常ブログ

優等生だった私がうつになった理由

こんにちは、今日も寒くて布団から出られないでいるのだみさんです。お布団心地よい…

そんなこんなで鍋の季節ですね。料理はあんまり得意じゃない私ですが、この間は寒さに負けて、珍しく鍋を作ってみました。

好き嫌いが多いため偏っていますが、白菜、鶏肉、肉団子、たら、そして木綿豆腐を入れており、だしはこの、久原醤油のあごだし寄せ鍋用スープを2人前分使っています。


久原醤油 あごだし寄せ鍋 鍋用スープ 個食タイプ(1人前4袋入)

下味として鶏肉はお湯にサッと通してみたり、たらには食用酒をかけてみたりしましたが、これがめちゃくちゃ美味しくて、締めのうどんまで美味しく食べられました。

 

閑話休題

今日は、超絶優等生だった私が、なんでうつになってしまったのかを考察していきます。正確には双極性障害なのですがそれはおいておいて、うつ状態になったきっかけです。

明確にこのストレスが原因でうつに…という話よりかは、私の持つうつになるような性格がどうやって形成されてきたのか、という話になります。この記事を読んで共感した方は、ストレスに注意した方がちょっぴり良い人生を送れるかもしれません。おそらくきっとたぶん。

 

私の親は、なかなか私を褒めない人でした。幼少期から今まで含めて、親から褒めてもらった記憶はほとんどありません

そんな私は両親から褒められたくて、いろんな努力をしてきました。

小学生の時は、テストで百点を取ってみたり、泳げなかった水泳もスイミングに通って克服してみたりしてみました。

中学生の時は、いじめられていることを隠しながら課外活動に励んで、ショートトラックスピードスケートの全日本ノービス&ジュニア選手権大会で優勝してみたりしました。

高校生の時は、合唱部で全国大会に出たりしつつ、成績もクラス内で一桁の順位を保って、たくさんの資格試験に合格して、さらにスケートでも成績を出していました。

大学生の時は、公認会計士試験の勉強に励んだ結果、日商簿記1級に合格したり、スケートでは国体やインカレで優勝したり、特待生に選ばれたり学年首位になったり、アルバイトに励んでみたり、大手SIerから内定を貰ったり、本当に色々なことをやっていました。

 

頑張っている私に対して私の両親は、「当たり前だよ」としか言いませんでした。ずっとそうやって教育されてきた私にとって、成績を出すことは当たり前のことです。もちろん、そのために努力をすることも当たり前です。結果を出せなかったら当たり前のことも出来ていないとさえ思っています。

 

私にとっては常に最高の結果を出せて当たり前なんですが、世間ではプロセスが大事だというのが常識のようです。

頑張ってたらすごい、結果を出せたらもっとすごい、ていうか生きてるだけで満点!という人もいるみたいです。私には到底理解できないですけど、とても幸せな考え方だと思います。

 

そんな私は、承認欲求がとても強いです。常に結果が出ているねって周りに認めてもらいたいし、認められるほどの結果を常に出していたいと考えています。

褒められたいという思いはどこかに消えました。今の私は、結果を出すことによって私の存在価値を認めてもらいたいのです。

 

当たり前のこともできない私に存在価値はない、そう私は考えています。しかも私にとって、そこでいう当たり前というのは周りより優秀な成績が出せている状態のことです。

 

そんな私が、思っているように実績を出せなければ、周りから認められる結果を出せなければ、どうなるでしょうか。私は、私の存在価値を見失ってしまいます。当たり前のことも出来ないような、価値のない私なんていなくなってもいいだろうと考えてしまいます。

小さい頃はなんとか結果を出せていた…優等生だったから私は両親から存在価値を認めてもらえていました。もちろん実際どうなのかは私には分かりませんが、私はそう思っています。

 

就職して会社に入って私は、誰も褒めてくれない上に私より優秀な人がごろごろいる環境に置かれました。

学校と違って会社では、誰も褒めてくれません。やはり、できていることが当たり前なんだと思います。というかお金を貰って働いているんだから仕事はきちんと出来ないとダメですよね。仕事をやってお金を貰ってさらに褒めてもらいたいなんて欲張りにも程があります。

そして学校よりも幅広い年齢層の人がいる会社の中には、私より優秀な実績を残す人はたくさんいます。会社のみんなは、私のように大した実績を残すことができていない人なんかよりも、そういった優秀な人材をどんどん褒めます。

 

そんな会社で、私には存在価値がないんです。

だって私は大した結果を出せないから。いてもいなくてもいいんですよ。そして社会は、会社の中で働けない人を認めません。資本主義社会とはそういうものです。成果を出せる人に価値があるのです。

 

私が意見を言っても、やりたいことを言ってみても、上司は見向きもしません。やたら大きな会社に入ってしまったものですから、私のやりたいことなんて、そうそうできるはずもありません。聞くと、社会というのはそういうものらしいです。

私の描いていたたくさんの夢が、上司の何気ない一言によって粉々になりました。私の夢は、会社の中では認められるようなものでは無いのです。だから、私の存在価値は認められません。

 

きっと私に必要なのは、何もなくても私には価値があるというふうに思える思考回路なんだと思います。

でも今まで、誰も私にそんなに価値があると教えてくれませんでした。こう思うといいよとアドバイスしてくださる人は沢山いますが、その人たちが私の存在価値を認めてくれるのかというとそういうわけでもありません。

もうずっと、結果を出さないと価値がないという思考で生きてきた私には、何もなくても価値を見出だすことは難しいのかもしれません。

 

人間の存在価値って、難しいですよね。

たぶんこうして自分の価値を見失っていってしまったがために、私はうつになったんだと思います(正確には双極性障害ですが)。

入社から休職に至るまでの話はスーパー社畜が休職するに至るまで - しゃちブログをご参照ください。

今回のオチとしてはそんなところです。

 

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長くなっちゃいましたが、今日はこんな所で終わりたいと思います。

ご購読ありがとうございました。また明日!