そうきょく☆のだみブログ

社畜のすさんだ日常ブログ

うつ状態の死にたいってどんな気持ち?

こんにちは、のだみさんです。今日も今日とてお金がなかったり、自分に自信がなかったり、病に伏している自分を病んで、死にたいな〜となんとなく考えつつ、どうにかこうにか生きてこうしてブログを更新しています。

読者の方々がいらっしゃるからこうして生きていられるのかもしれないので、こんな陳腐なブログを読んでくださっている方々には日々感謝しています。

 

そうこういうわけで、うつ病双極性障害うつ状態希死念慮について今日は書いていきたいと思います。

希死念慮っていうのは、死にたいと思う気持ちで、特に上記で掲げたような精神疾患で重要視されている、具体的な手段を持って死を考えてしまう状態のことを、今回のブログでは指していきます。

 

具体的な手段というのがポイントです。例えとして、うつ状態がひどかった時の私の例を挙げたいと思います。

交差点で信号が変わるのを待っている時に、(ここで前に飛び込んじゃえば死ねるかなあ、飛び込もうかなあ)って何となく、ふと考えました。もちろん実際に飛び込むと運転手の方に多大なご迷惑をかけてしまうので飛び込まなかったんですが、本当になんとなく、飛び込もうかなあと思ったわけです。

駅のホームで電車を待っている時も同様に、(飛び込んでしまえば今日は会社行かなくてよくなるよなあ)と考えました。

家や会社で窓からぼーっと外を眺めている時には、ただただなんとなく(ここから飛べば死ねるかなあ)と考えました。窓から外を眺めれば、いつでも私は死ねるんだ、と安心しました。だから外を見ることは多かったです。

家でふと包丁を見た時、(これを自分に刺せばいいんだ)と思って、包丁を抱き抱えて眠ったこともあります。

処方されている睡眠導入剤を飲む時に、(持っているもの全部飲んだら永遠の眠りにつけるかなあ)と考えることは毎晩のようにあります。

 

別に私は、本当に死にたいと思ったわけではないです。私が死んだら色んな人に迷惑がかかっちゃうだろうから、死んだ場所は事故物件になっちゃうだろうから死んじゃダメだと思っています。それに痛いのは嫌いですからね。

こんな私が生きている意味はわからないし、存在意義もなければ価値もない私は、こうしてただ、なんとなく死ぬ手段を考えてしまいます。

構って欲しいわけでもありません。まあ、放っておかれるといつか本当に手段を実行に移してしまうかもしれませんが…まあそれはそれでその時考えましょうね。

そんな日が来た時のために、エンディングノートを書いてみるのもありかもしれませんね。


もしものときのエンディングノート

 

ここで書いてきた希死念慮は、あくまでも私の一例です。しかし、これを聞いた主治医さんが颯爽と休職の診断書を書いたのも事実です。

だから、ほんとにやばい希死念慮かどうかの境目として、手段を考えているかどうか、というのは有効な判断指標なんじゃないかな、と思います。

 

ちなみに、自傷行為(いわゆるリストカットなど)はこの希死念慮とはまた別の状況です。

それはそれで場合によっては入院が必要になる場合もあるので、死にはしないけど身を傷つける行為をしている人や、そういう人が周りにいる人は、このブログをきっかけにして適切な処置に辿り着けたらな、と思います…。

 

そんな感じで、うつ状態の死にたさが今回のテーマでした。実際に手段を考えているかどうかが、ひとつのポイントになるかと思います。

そして、私に生きてブログを更新し続けて欲しいと思ったら、欲しいものリストからプレゼントをお願いします!(宣伝)

 

今日はこんな所で終わります。なんとか生きる意味を見出したいところですね。また明日!