「なにもしないということ」をするしんどさ
こんにちは、のだみさんです。最近の私は極めて飽きっぽく、しかもやることそれぞれにかかる単価が高いです。日々、お金がぶっ飛んでいっているのがわかります。
双極性障害の躁状態のしんどさって、きっとこういうところだと思います。
病院からは、今動きすぎるとうつ状態になった時にひどくなるからと外出禁止令が出ており、そんな私は毎日なにもやることがありません。(実際は飽きながら色々やっていますが、)なにもしちゃいけないんです。
今日のブログでは、そんな私の今の状況である、「なにもしないこと」をするしんどさについて書いていきたいと思います。
人間は本来、なにかをすることで生きていく生き物だと思います。それぞれ自ら社会や経済を回していくのが人間だと思います。それがたとえ賭博でも経済を回していますし、ニートだって買い物をしていれば経済を回している、という認識です。
そんな中、私はなにもしないで生きています。経済はがんがん回していますが、実際は回してはいけません。仕事はもちろん、必要最低限以上の買い物をしてはいけないのです。してますけど。
それって、人間としての役割を欠いた状態だと私は思うのです。社会も経済もほとんど回していません。そりゃあ、病院で経済回してるなどと言えばそうなりますが、なかなかそれだけで気持ちが晴れるかと言うとそんなことないわけです。
うつ病や双極性障害の人はどうしてもこの、社会からドロップアウトし、社会になんの貢献もできなくなってしまった自分を悔やんでしまいます。悔しくて悔しくて、たまらないのです。
私のような人に大して必要な言葉は、社会から必要されていることを示す言葉です。周囲にうつ病や双極性障害の人がいたら、社会から必要されていることがわかるような言葉をかけてあげて欲しいです。
最も、どんな言葉がそれに当てはまるかは私にはわからないんですが。
必要とされているかどうか…なんてそんなことは恋人などがいれば解決するかもしれないので置いておいて、そうだとしてもやはり、なにもしないということはとてつもなくしんどいです。
何もしていない状態というのは、頭では何か考えつつも、手足をそう動かさずにただ座っていたり、ただ寝転んでいたりするような状態です。うずうずします。何か食べたい…何か飲みたい…何か感覚が欲しい、そんな状態に追い込まれます。
きっと人間は、五感で何かを味わうことで生きている実感を得るのではないかと思います。何もしていないと、味わえることが極めて少なく、その情報量の少なさに苦しむのではないでしょうか。
とまあよくわからないことを書いてしまいましたが、なにもしないということはとにかくしんどいのです。
…という謎の締めを書いたところで、今回の話は終わりたいと思います。こんな私にプレゼントを送りたい方はぜひ、欲しいものリストからプレゼントをお願いします!(宣伝)
ちなみにAmazonや楽天、私のリンクを経由さえしてもらえれば、何を買ってもらってもちょこっとだけ私の収入になります!(宣伝2)
それではまた明日!